2020-2021

”古事記・弟橘媛命”シリーズ

※ 作品はクリックすると拡大します。

村人達が船を見送るシーン

M20 50×73cm 2020年
油彩とテンペラの混合技法/板

弟橘媛が荒海へ身を投じるシーン

M20 50×73cm 2021年
油彩とテンペラの混合技法/板

蘇る弟橘媛 愛と平和の女神 

M20 50×73cm 2021年
油彩とテンペラの混合技法/板

Study

弟橘媛伝説とは

第12代景行天皇の皇子、日本武尊は天皇の勅命により上総の国(今の千葉県)に渡海するため、走水の村に到着しました。
ここから日本武尊は対岸の房総へ渡ろうとしましたが、海上は風波が強く、船出もできず数日間ここに滞在しました。
日本武尊は一向に静まりそうもない風波に困っていましたが、ついに船出を決意し、一気に渡ろうとしたところ、船が沈没しそうになってしまいました。このとき弟橘媛命が、これは海神の怒りであると信じ、日本武尊の身代わりになることを決意し、
さねさし相模の小野に燃ゆる火の
火中に立ちて問ひし君はも
と歌を詠んで海に身を投げました。
すると、それまで荒れ狂っていた海も次第に静まり、難行した船も無事に上総の国に上陸することができました。
日本武尊が数日間、走水の村に滞在したとき、村人が日本武尊を慕うあまり日本武尊は村人に冠を賜りました。
後にこの冠を石櫃(せきひつ)に納めて建てたのが、走水神社であると伝えられています。
引用元:横須賀市Webサイト

古事記を描くきっかけ

かさぎ画廊の方より、横須賀は走水神社に伝わる弟橘媛伝説を、絵に描いてみませんか?と。
始めに提案されました。その一昨年前から、丁度、古事記を講座で学んでいた事も後押しになりました。思えば日本の成り立ちについては、殆ど知らないままで、今日に至っています。それで、丁度、良い機会だと思い描く事に致しました。

笠木和子さんと走水神社へお参り

それと、走水と聞いて、小学校低学年に読んだ日本神話の絵本の中で、弟橘媛が身を投じる場面が記憶に残り、脳裏から離れませんでした。暗く怖い、インディゴブルーの荒波に身を投じるシーンが、ずっと記憶の中に刻印されていたのです。
その様な事もあり、暗く怖いイメージを、自分でも払拭したいと言う思いから、描いてみたくなりました。

走水神社の弟橘媛

弟橘媛が身を投じるシーンの絵は、現存する中でも少なく、どうしても暗く怖く否定的なイメージばかりです。ヤマトタケルの為に犠牲になった后と言う事が、クローズアップされて、究極の愛を成し遂げた女性としては、注目されていないのが残念でなりません。

弟橘媛が犠牲的な死を遂げた女性と言うより、私が感じた事には。
イエス キリストの無条件の愛に通じる、自らの命を差し出せる大きな愛を持つ人に受け取れました。肉体から魂が天へと引き上げられると、神の手に委ねられ死への恐怖が無い事は、以前 読んだ催眠療法士 マイケル ニュートン著 『人生はなんのためにあるのか』の書物からも 死の瞬間、私達が思っている様子とはだいぶ違う事が判りました。

そして、又、その魂が再生されて行く事もです。
私の中での、弟橘媛は大きな愛の女性として、浦賀水道から世界に向けて愛と平和を発信して行く、女神のイメージが湧いて来ました。かつて浦賀はペリーが来航し、日本に新しい時代が幕開けした所です。風の時代、愛と平和の女神が、まさに来航し今度は世界に向けて愛と平和の新風を巻き起こす。私がこの3部作に込めた願いでもあります。

今回の弟橘媛のモデルのご紹介



モデルさんにどうですかと?、画廊の方々も通われている よこすか自然生活 Ayus (アーユス)ヨガ スタジオ代表、小野百合子先生をご紹介して頂きました。小野先生のお母様は横須賀で長年 ヘルシーヨガの教室をされて、それを引き継がれました。初対面から心が通じ、教室の理念でもある、3つの C に私も共感を覚えました。1,chance   2,challenge   3,change   (詳しくはAyus   hpをご覧下さい)

これからの時代を生きる上で、私も常に意識を置きたいどれも大事な3つです。
小野百合子先生をモデルに描いている内に、弟橘媛に相応しい方だったと、実感し、当時の后もこの様な凛とした、お方だったのでは?との思いに至りました。3枚目の女神の顔では、3つのCを体現する凛とした、それでいて強い決意と優しい女神を彷彿とさせるイメージで描きました。
 

Ayus ヨガスタジオのWebサイト

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